私たちの国際交流(48)を掲載しました。

国際人生の恩返しを

私が初めて海外に興味を持ったのは思えば高校三年生の時両親がハワイ旅行に出かけたのがきっかけだったように思います。まだ沖縄がアメリカだった時代だったと思います。
私が海外に行けたのはモントリオールオリンピックの時カナダ(バンクーバー)でした。とても綺麗な景色に目を奪われた事は今でも忘れられません。言葉が分からない中でも気持ちよく旅をすることができたのは人々の優しさと暖かさを感じることができたからだったと思います。
結婚後主人の台湾赴任で昭和の元号が平成に変わるのを海外で体験した時でした。新しい生活が始まったのは子供たちが低学年でした。子供たちは学校での同級生たちも皆さん同じ境遇と言う事もあり直ぐに環境に馴染んでくれたのが嬉しくホッとした思いでした。
私と言えば不安のなか大家さんが日本語が話せると言う事もあって少し安心感もあり、色々アドバイスを頂きながら自分でも一ヶ月足らずで自転車に乗り買い物にも出かけられる程に馴染んでいることに少しビックリしているほどでした。
今思えば言葉が分からない中でも周りの人たちの暖かさ、優しさのおかげだったと思っています。
台湾は私にとってのアナザースカイかな!
日本に戻って30年余り今でも交流は続いています。
現在の私の国際交流といえるのは月一の公園清掃のボランティア活動の中、公園近くの会社で働いているベトナムの若者たちが昨年春から一緒に清掃活動に参加してくれています。まだまだ言葉が分からない中でも私たちの仕草を見てまじめに取り組んでくれている姿には感謝感激でいっぱいになります。
彼らにとって会社環境が良いのだろうと想像されます。この良い関係がずーっと続くことを願い彼らが益々地域を好きになってくれるといいです。
今一つ二月に行われた国府宮神社の裸祭りのことです。地域の老若男たちの中には地域在住トルコ、台湾からの参加の為にわざわざ来日した若者たちと一緒に練り歩き、接待を受けるなかインド料理のお店では温かいスープでの接待に裸男たちだけではなく私も身も心も暖かくなりました。とても国際色豊かな光景でした。まだまだ小さな事ですがお互いの文化は尊重し、理解することが第一!と思います。
私の半世紀余りの国際人生の中何時も素敵な顔を出してくれています。海外生活体験で感じた気持ちを今度は私が少しでもお返し出来ればとこれからも心掛けていきたいと思います。

片場 渡邊 幸子