心の交流

私が外国人のお子さんに日本語を教えるボランティアを始めて1年半が過ぎました。現在、小学6年生のトルコ出身の男の子を担当しています。授業初日、はにかんだ笑顔を浮かべながらも、どんな授業が始まるのか分からない、不安そうな様子だったのを覚えています。当初は、もちろん会話もままにならず、手探り状態で授業を進めました。時には元気の無いこともあり、そんなときには大好きなトルコの話をしてもらいました。絵を描いたり、インターネットの画像を使いながら、覚えた日本語で一生懸命にトルコの話をする彼の眼は、キラキラ輝いていました。そんな彼も、今では流行り言葉を使い、伝えたいことを自由に話せるようになってきています。

実は、私の娘達も同じような体験をしたことがあります。今から10年前、主人の仕事の関係で、私達家族はアメリカのオハイオ州に移り住み、当時高校2年生と中学校1年になった娘達は、現地の学校に通い始めました。高校1年まで英語を勉強していた長女と違い、次女は英語を勉強する前に渡米してしまったので、授業も全く理解できず、いたたまれずに教室から逃げ出してしまったこともあったようです。言葉以外にも、人種や文化の違いに戸惑い、予期していたものと違う現実に動揺していました。そんな中、現地の先生方は娘達の心を理解し、寄り添ってくれたのです。言葉の壁がどれほど大きく、それを乗り越えようと、いかに娘達が頑張っているかを、他の生徒たちに話してくれた先生もいました。ご自宅で英語を教えてくれた先生もいました。どれほどありがたかったことでしょう。アメリカでの2年半を通して、「言葉の壁は大きい、されど心の交流は国境を越える。」という大切なことを私達は身をもって学びました。

日本語ボランティアを始めた私に、次女が、母国を離れてきた子供の心を誰よりも理解してあげて欲しい、と涙ぐみながら言ってきたことがあります。日本語教師である前に、子供の気持ちをそのまま受容できるような、良き理解者でありたいと強く願っています。

日本語教室ボランティア 大野 朋子

私たちの国際交流22

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