私たちの国際交流(36)を掲載しました。

若き日のお返しを今

ロスアンゼルスに住む学生時代の友人を頼って、片道の航空券と僅かな所持金で日本を発ったのは1975年冬のことでした。

その後カナダに移動してガーデナーのヘルパーをし、パリに渡っては夜レストランで皿洗いをしながらアリアンス・フランセーズという仏語学校に通って海外で2年近くを過ごしました。

アメリカ、カナダ、フランス、スイスでは交通費を節約するためにヒッチハイクなどもよくしました。スイスで拾ってくれた車のカップルがいましたが、日が暮れると、その彼女を自宅まで送り届けて、私を彼の自宅に泊めてくれたのです。

また、コーヒーショップに立ち寄ったときなど私がその支払いをしようとすると、「今の君にはお金が大切だ。今度私が日本へ行ったときには君に支払ってもらうよ」。そんなふうに言ってくれるドライバーは少なくありませんでした。

アメリカ人、カナダ人、フランス人、中国人、スイス人、ドイツ人、スペイン人、モロッコ人と、涙がこぼれるほど親切な人たちにもたくさん出会いお世話になりました。

ところが気付いてみると、そんな彼らの多くがこの日本の地を踏むことなく天国へ行ってしまったのです。私はそのことを思い出すたびに目頭が熱くなってきます。もう、あの親切な方々にはお返しをすることができません。

けれども日本には現在、私の若いころのように働く外国人の実習研修生がたくさんいるわけです。そうした若者たちを見ているうちに、「そうだ! 彼らに、そのお返しをすればいいのかもしれない」、私はそう考えるようになりました。

そして、8年ほど前から、私はインドネシア人やベトナム人の日本語学習者達を連れて月に1回程度あちこちをドライブしています。いろいろな物事を観て、彼らが日本の文化に親しみ理解を深めてくれることも期待しています。

今はコロナ渦で彼らとあまり行動できませんが、早く再会できることを待ち望んでいる次第です。

沖村 梅田 喜代一