私たちの国際交流(44)を掲載しました。

私の国際交流の始まり

私の国際交流はマルコス政権時代のフィリピンに一年間仕事で駐在した事から始まりました。当時、日本の無償資金協力によりフィリピン国内を南北に縦断する「日比友好道路」が建設される事となり、建設のための重機整備工場が全国四か所に建設され、その点検・修理のための工場設備の据付・取扱い指導のためにJICAより派遣されたものです。実施に当たっては多くのローカルスタッフと親密になる必要に迫られましたが、これには大変苦労したものです。

先般、草の根交流で訪問したグアムの人々のように友好的な方もおれば、日本人嫌いの方もおり(特に激戦地であったマッカーサー上陸の地域やミンダナオ島地域)指導するのに苦労したものです。バーベキューパーティーを頻繁に開き互いに理解するようになりました。この時わかった事は「人は身振り手振りでも話せば分かり合える。」ことです。(タガログ語は最後までムリでしたが)一年で後任に引き継ぎましたが、お陰様で「言葉が違っても融和は図れる」と悟りました。これを契機にその後の東南アジア訪問には何の違和感もなく赴くことが出来ました。又、数年後アメリカのミネソタ州北部の小都市、田舎町に行く機会がありましたが、ここは全くの白人の町で、黄色人種は私一人のみ!白人はどう思っているのだろう。 輸入元の会社を結果的に十数回訪問し、議論もしてきた結果、「言うべきことは、はっきり言う!」「あとに残さない!」ことを学びました。「どんなに議論しても、昼食・飲み会・パーティー等は和やかに行い引きずらない。」 お蔭で良い友達付き合いが出来ました。

投稿していると色々とよみがえってきます。現在、様々なボタンのかけ違いによる紛争が絶えませんが、話合いによる解決ができる世の中に戻ってもらいたいものです。

熊之庄  石田宏一郎