空に近い国

旅は、色々な経験や新しい世界を与えてくれます。私の中で強烈に印象的だった国のひとつが、ネパールです。
広大なチトワン国立公園は、孔雀の声が長く響く朝もやの中を、ザーッと草木を分けて進む象の背から見た景色や動物は、美しくて、自分がそこに存在していることさえ忘れてしまいます。象の水浴びに同行させてもらい、背中で一緒にずぶ濡れでブラシをかけました。その後、一列で歩く象たちに続いて、草を抱えた人たちも一列で夕暮れの中帰ってゆく様子に、いかに人々が、象を大切にして自然と生きているかを感じました。
そして、カトマンズへの道中の村で、広場に出ていた屋台の店を見物していると、ゆったりと水牛を引いてゆく人々とすれ違いました。水牛は目を細めて幸せそうに見えたのですが、何分もしないうちに「ドサドサ、ンモーッ」という声が聞こえました。私は、まさかの思いに従い振り向かなかったのですが、友人は見てしまったそうです。食べる為なのかは判りませんが、こんな場所で?という驚きと、たった今歩いて行ったのにという、命の儚さにショックで言葉も出ませんでした。当時私が見た街では、小さな小屋の台の上に、分解されたヤギがそのままお肉として売られていました。そしてその店の前には、ロープに繋がれたヤギが、明日も生きる為に、盛られた草をモグモグ食べていました。鶏肉を売っている屋台の隣の空き地には、鶏の白い羽が、沢山雨に濡れて地面を埋めていました。
この国では、生も死も隠されることなく、日常に当たり前に混ざりあっている。私は、これらの命を断つことで生きているのだと、生々しく見せられたのでした。私は、他の命を頂くのに価すべく生きているのだろうかと、頭から離れませんでした。ネパールの人々は信仰心厚く、群がる猿も野犬も追うことなく祈りを捧げ、そこここの神様の像に、赤い粉や花が供えられています。供え物の動物が命を奪われないように、繋がずに供えるのだそうです。素晴らしい事に、結局自分で家に戻ってくるらしいです。
飛行機の窓いっぱいに間近に見えた、ヒマラヤの真っ白な雪の山々は、人が入ってはならない神の住む場所でありました。近寄りがたい程の自然に抱かれて、神と命を敬い、慎ましく、力強く生活する人々。余りにも驚きに満ちたネパールから、私は今も続く大きな宿題を貰って帰りました。

熊之庄在住 霞 真実子

私たちの国際交流30

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