私たちの国際交流

Category
並べ替え
私たちの国際交流(46)を掲載しました。
多文化社会のコミュニケーション 皆さんは、多文化共生って具体的に何をイメージしますか。総務省によると、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」と定義されています。つまり日本人であっても外国人であっても異文化を理解しようと努め、...
私たちの国際交流(45)を掲載しました。
国を自慢できる台湾人   5年前に夫婦で台湾に行こうとして、夫がイフルエンザにかかり急遽一人旅をしてきた。リベンジとばかりに3月末に夫婦で2泊3日、台北に出かけた。 2日目の午後だけ観光を予定していて、集団行動のできない私たちは割と安価なガイド付きタクシーをネットで予約しておいた。ガイド兼ドライバーのスーさん...
私たちの国際交流(44)を掲載しました。
私の国際交流の始まり 私の国際交流はマルコス政権時代のフィリピンに一年間仕事で駐在した事から始まりました。当時、日本の無償資金協力によりフィリピン国内を南北に縦断する「日比友好道路」が建設される事となり、建設のための重機整備工場が全国四か所に建設され、その点検・修理のための工場設備の据付・取扱い指導のためにJICAより...
私たちの国際交流(43)を掲載しました。
今、思うこと 日本語ボランティア活動に携わるようになって十数年、ふり返りみると、あっという間の年月だったように思います。その間、様々な国の方と接し自分自身の生活の見直しにもなったり、考えさせられる日々でした。何気ない日常も他国の生活ぶり、お国事情を聞くと、どんなに恵まれているかと気づかせられます。又、ほとんどの方々が家...
私たちの国際交流(42)を掲載しました。
私の台湾交流 1972年3月卒業までの学生時代。最後の長期休みに何をしたらよいか考え無謀(当時は1ドル360円)にも、一度も行ったことのない海外に行こうと考え目的地を台湾にして安く行く経路を研究。 東京から鹿児島まで汽車(25時間)。鹿児島から沖縄(まだ日本へ返還前)まで船(24時間)。沖縄から台北へは、飛行機(1時間...
私たちの国際交流(41)を掲載しました。
私の交流 私の一日は、朝八時十五分からの中国語講座を聞くことから始まります。(テレビでは、イモトさんも学習されていますね。とても早い上達です。流石ですね。) 北名古屋市の講座は名古屋大学から、中国留学生の方々に教えて頂いています。おのおの方が、楽しく解かり易く、幅広く丁寧に、工夫を凝らした熱心な授業です。例えば、最近の...
私たちの国際交流(40)を掲載しました。
  SNSで交流 私の一日はSNSで「早安(おはよう)」と呟く事から始まります。国際交流協会で主催いただいている中国語講座に通い数年、先生方にしっかり基礎をご指導いただいたお陰で基本的な会話もこなせるようになり、今ではとりわけ台湾の「布袋戲(ポテヒ)」を通じて台中韓比の友人とSNSで交流しており、親しい上海の...
私たちの国際交流(39)を掲載しました。
『中国も、フィリピンも』 放課後の「日本語教室」は、とても賑やかです。場所は師勝西小学校です。 中国からきた、T君、フィリピン人のお母さんと暮らすYちゃん、I先生と私です。 基本的には、テキストの漢字を書いたりしますが、本を読んだり、ゲームをしたりします。現在のメンバーは、日本語で話すことは、自由自在です。でも、お家で...
私たちの国際交流(38)を掲載しました。
習慣を知って 数十年前社会人になってから、海外へ観光に出かけるようになりました。その時々の同行者に自由旅行を希望し、できる限り自分たちの目と耳と口を使って回りました。満足な外国語も話せず行動するため、現地の方から多くの助けや好意を受けることになり、今までの旅を何ごともなく楽しい思い出にできたのも、彼らのお陰だと感謝の気...
私たちの国際交流(37)を掲載しました。
日本語ボランティアをはじめて 日本語ボランティアの登録をして活動し始めてもう6年位経ちますが、我ながら良くここまで続けることができたと感じています。これも国際交流協会の方や、他のボランティアの皆様、受講生の方と楽しくできている事を感謝しております。 私が日本語ボランティアをはじめたきっかけは2つあります。1つは、日本に...
私たちの国際交流(36)を掲載しました。
若き日のお返しを今 ロスアンゼルスに住む学生時代の友人を頼って、片道の航空券と僅かな所持金で日本を発ったのは1975年冬のことでした。 その後カナダに移動してガーデナーのヘルパーをし、パリに渡っては夜レストランで皿洗いをしながらアリアンス・フランセーズという仏語学校に通って海外で2年近くを過ごしました。 アメリカ、カナ...
私たちの国際交流(35)を掲載しました。
美越宣男さんのこと 美越さんとは10年程前に出会い、その時すでに社会人日本語教室の代表をされていたので今回の代表を退かれるとの知らせに突然のことで本当に驚いた。勢力的に取り組まれていたのでご本人も退かれるという決断にはさぞかし悩まれたでしょう。代表という立場からボランティア指導者と多くの外国人受講者との組み合わせに常に...
私たちの国際交流(34)を掲載しました。
何だ、これ! SDGs 新型コロウイルスが世界の国々を震撼させている。人的往来の激しい先進諸国から始まった。アメリカやヨーロッパでも多くの犠牲者がでた。医療設備・技術が優れている国でさえ右往左往。その後、当然発展途上国へと感染が広がる。医療設備や医師の不足、さらには衛生管理の問題がある国では、爆発的な被害が予想として紙...
経済交流の実り豊かに
私は前号会報に、韓国への経済交流訪問団の渡航を直後に控え、日韓関係の緊張が高まる中にあっても、多様な交流を継続することが重要であり、相互理解と友好が深まる訪問にし、後日、笑顔で帰国したことを報告しますと綴りました。 その後日談であります。行程は10月初旬の金曜日から日曜日の二泊三日の駆け足。初日に韓国・仁川空港から、今...
1392 PV
多様な交流の重要性
私は、民間の経済交流の訪問団の一員として、明日から韓国・ソウル市を訪問します。(小稿は10月3日執筆)初春に訪問決定後、この半年余りの間に、日韓の外交レベルでの緊張は、戦後最悪と言われるほど高まってしまいました。 訪問団の中でも訪問を延期すべきかなど、いろいろな議論がありましたが、私は一貫して、こういう時期だからこそ、...
862 PV
交流の輪を
私と国際交流協会の出会いは、韓国語講座の受講でした。当時、韓流ブームの影響でとても人気の講座でした。ハングルの学習とともに、韓国の歴史、文化、習慣も学ぶことができました。その後、協会活動に興味を持つようになり、運営企画会議ボランティアのメンバーとして、協会の運営にも参加することになりました。 昨年は、協会の補助を受けて...
859 PV
空に近い国
旅は、色々な経験や新しい世界を与えてくれます。私の中で強烈に印象的だった国のひとつが、ネパールです。 広大なチトワン国立公園は、孔雀の声が長く響く朝もやの中を、ザーッと草木を分けて進む象の背から見た景色や動物は、美しくて、自分がそこに存在していることさえ忘れてしまいます。象の水浴びに同行させてもらい、背中で一緒にずぶ濡...
723 PV
交流のはじまりは、なにから?
私は今年7月、小学二年生の息子と北名古屋市で講演会をした井手初穂氏とでタイの首都バンコクへ向かいました。バンコクと言ってもスラム街のあるクロントイというところです。こちらへ訪ねるきっかけとなったのは、北名古屋市国際交流協会主催の『井手初穂氏講演会』でした。その講演は大都市の中にあるスラム街の幼稚園のお話とインドで差別に...
864 PV
務安郡との交流
昨年、市の草の根交流海外派遣団の一員として、韓国全羅南道務安郡を訪問しました。務安郡は北名古屋市になって初めて交流した町です。10 年ぶりに当時の郡守、日本で言うと市長の位にある、ソ・サムソク氏と当時の行政課長のパク・ピョンソク氏に会いました。私は、今でもハングルができませんが、彼らとは、なぜか意気投合ができるのです。...
1804 PV
気づき
日本語で何かを手渡す時の“どうぞ”は、英語で“Here you are.” と表現できる他に“Here you go.”という表現の仕方もあります。最近気づいたことなのですが、日本語を英語にするには一つの表現だけでなく、さまざまな言い方あることを知りました。そうです、正解は一つだけではないのです。今から5年前、家族で海...
1329 PV
日本語ボランティアに参加して
国際交流協会がボランティアを募集していると聞いて6年ほど前から日本語教室ボランティアをしています。日本語教師の資格は持っていませんが日本語を学びたいと思う外国の方の手助けができるならと自分の能力も考えず始めました。恥ずかしながら外国語は殆ど話せません。最初は社会人の教室だけでしたが今では小・中学生も担当しています。 思...
1481 PV
私とハングル
今から12年前に愛知万博が開催されました。この万博では、一市町村一国フレンドシップ事業が実施されました。私は、それをきっかけに、ハングルを覚えようと、文化センターへ週一回通うようになりました。 歴史や漢字をルーツとする韓国語に惹かれて、ずっと今でも韓国語を学習しています。韓国語も日本語と同様に漢字(中国語)から始まって...
1077 PV
来日研修生が観ている現在は
外国人への日本語教育ボランティアに私は毎週参加しております。そこで出会ったベトナム人の実習研修生らと一緒によく遊びに行きます。彼等の個性はそれぞれに異なりますが、純粋な若者たちが多いですね。3年間ほどの限られた研修期間に何かを学ぼうと懸命です。 この決して長くはない滞在期間に日本の良い面も悪い面も、しっかり見ていってほ...
894 PV
「にこり」の修行
北名古屋市が誕生した1年後に国際交流協会が発足。その半年後に成人の日本語教室が始まり、その後小・中学生にも活動が拡大しました。27年度は小学校10校中9校、中学校は6校中4校に出前授業を、多くのボランティアさんの協力で行うことができました。 熊野中学校に2年半前の8月末に、タイから2人の男子が来日し9月から1年生に編入...
989 PV
心の交流
私が外国人のお子さんに日本語を教えるボランティアを始めて1年半が過ぎました。現在、小学6年生のトルコ出身の男の子を担当しています。授業初日、はにかんだ笑顔を浮かべながらも、どんな授業が始まるのか分からない、不安そうな様子だったのを覚えています。当初は、もちろん会話もままにならず、手探り状態で授業を進めました。時には元気...
971 PV
国際結婚あれこれ
今は世界のどこの国へも気軽に行くことができる時代となり、国際結婚される方も多くなったと思います。 人口約8万人の北名古屋市での国際結婚されている方も相当数になると思われます。私は40年前にミャンマー(ビルマ) 人と結婚しました。婚姻届けを役所に提出に行ったら町で初めてだと言われた記憶があります。 結婚は両人の合意で成り...
849 PV
アジア手芸品の架け橋
2年前から北名古屋市国際交流協会のブースに参加させていただいているアジアの手芸品フェアトレードのBanduです。いつもたくさんの方にご来店いただき感謝いたしております。また、北名古屋市の活発な国際交流の様子をい つも楽しませていただいています。 Banduは簡単に買いにいけない場所で作られているアジア各国の手芸品や、市...
853 PV
中国語学習
私は月に2回(日曜日)、ハルピン出身の知的で美人な先生が教えてくださる中国語勉強会に参加しています。勉強会には私より年長の先輩たちも多く、皆さんとても熱心に授業を受けていらっしゃいます。 そもそも私が勉強会に参加するきっかけとなったのは、勤めていた会社に中国の技能実習生の方々が働きに来たからでした。彼らは仕事や日本語、...
762 PV
国際交流ボランティアで思うこと
残暑のなかった今年の夏、久しぶりに訪れた抜けるような青空をみると、穏やかで、人は皆平和な時を過ごしていると思ってしまうのです。でも、明日もまた同じ日がむかえられる確証は無いのです。突然襲ってくる天災、身をむしばむ病の発覚、交通事故、不満だらけの政策にもかかわらず、優しい虫の音をきき、明日もまたくるはずの幸せを信じられる...
954 PV
我が家の国際交流
初めて我が家に寝泊まりした異邦人はソウルから来た3人の女子大生であった。共通の話題はボーイ・スカウトに関することだけ。彼女たちの情報は事前にほとんどなかった。それでも食事の時にはさすがに賑わった。あれやこれやと話が弾んだ。味噌汁は大丈夫だが、吸い物は皆苦手であった。濃い味でないと、受け付けないようである。見知らぬ人と打...
1025 PV
目を見て話そう
May I help you? と、自信をもって外国人に声をかけ、外国人の役に立ちたいと思っているのです。只今、英語の修行中。本番には、まだ時間がかかりそうです。 元はといえば、随分前に、アメリカで生活したとき、そこの人たちに親切にして頂きました。その恩返しのつもりで、日本へやってくる人に何かお手伝いできないだろうか、...
803 PV
中学生国際交流プログラムに参加して
毎年夏に北名古屋市と友好都市務安郡との中学生を相互派遣する国際交流プログラムがあります。私は、今年、協会から引率者の一人として参加させていただきました。このプログラムは、今年で5年目になりますが、これまでの北名古屋市の単独主催から、北名古屋市国際交流協会が加わり、共同主催で実施することになりました。これは、市民が主役と...
824 PV
人生を豊かにするもの
子供の頃、世界中の人と友達になれたら楽しいなあって憧れた私。 中学1年生の時に、実家で(公財)AFS日本協会が招くアメリカ人女子高校生のホストファミリーをしたことをきっかけに、海外への興味が広がりました。また、その時出逢った大学生ボランティアの方達が英語で流暢にアメリカ人留学生と話しているのを見て、大きな刺激を受けまし...
1013 PV
私のボランティア入門
1月27日のアジアフェスティバルは、たくさんの来場者の方に楽しん で頂き、何とか盛況な形で終える事が出来て、安心しました。 今年で、北名古屋市国際交流協会ボランティアに参加して3年となります。昨年の韓国フェスティバルからの参加で、今年はインドネシア・ バリ舞踊の担当をさせていただきました。以前、駐在経験のあるインドネシ...
635 PV
私のボランティア入門
協会ボランティア委員会委員長 美越宣男 私は在職中、海外五カ国の現地法人で働く機会をいただいた。短い時で一~三ヶ月、長い時で七ヶ月間、工場現場で汗を共にした。 どこの国でもトップからは、必ずと言っていいほど、「あなたの信仰は何か」、「どんなボランティア活動をやっているのか」を聞かれた。信仰は二十歳の時から今に至るまでゆ...
1503 PV
気楽に付き合おう
世界には数多くの言語がある。国の数の何十倍もの言語があるという。僕の知人に は、英語、中国語、ハングル語など多言語に堪能な友がいる。中国の大学で教鞭を とっていたこともある。現在は、日本の大学で指導にあたっている。世の中には言語感覚に優れた才能を持っている人が実際にある。僕にはそのような人が羨ましい。国 際交流は多言語...
858 PV
優しさに魅かれて
北名古屋市に住み始めてからまだ4ヶ月にも満たないですが、日本のことは知らないわけでもありません。 香港出身の私は子供のころ家族とカナダへ行って、バンクーバーで育っていたので、日本も含めているアジアの国々や文化などはあまり詳しくありませんでした。正直というと、興味 もあまり持っていませんでし た。しかし大学の時、イギリス...
相互理解から
私は中学校1年生から日本語を勉強してきました。日本語を選んだ理由としては、漢字に対する親近感があったからです。 しかし、同じ漢字でも文化的意味が違うことを日本人との交流を通じて知ることができました。 日本人の友達に「私は二〇〇九年九月九日に結婚したよ」と話すと、友達は「九」が多いことに驚きます。 なぜなら「九(く)」は...
1181 PV
SVA(シャンティ国際ボランティア会)北名古屋
SVAは、30年前、カンボジア・ラオスの難民が大量に流入したタイ国境の難民収容所で活動を開始した。カンボジアのポル・ポト政権の崩壊がきっかけだった。 活動の中心は、「図書館」で、難民が祖国カンボジアの文化を失わないために、焼かれずに残った本を捜しだし、日本から運びこんだ印刷機で出版した。足りない分を日本の絵本で補った。...
889 PV
(財)AFS交換留学生のホストファミリーになって
我が家に新しい家族が増えたのは、今年の3月末のことでした。 スイスから来た留学生ソフィーは17歳のとても可愛い女の子です。 ホストファミリーになったのは、財団法人AFS日本協会の募集案内を見たのがきっかけです。 英語もできないし、小さな子ども2人(小1・年少)抱えて、無謀な挑戦のように思いましたが、「何とかなるだろう」...
785 PV
名古屋芸術大学の交換留学生
4月からの前期交換留学生は、イギリスから6名、スウェーデンから1名、ドイツから1名合計8名が来日。 日本の学生と一緒に勉学に励んでいます。 日常生活ではアパートで自炊をして、お昼のお弁当を作り、自転車で大学に通い、工房での作品制作に毎日励んでいます。 2ヶ月が経ち、北名古屋市の住み心地を聞いて見た所、家庭菜園や野菜作り...
826 PV
務安郡ロータリークラブとの交流
10月8日朝6時集合が、台風の直撃により、4時間遅れで中部国際空港を出発しました。 そのため、当日に予定していた務安RC会員との懇談会は中止、遅い夕食を済ませホテルに到着したのが10時頃となりました。 翌日の務安RC会員との懇談会では、会長を始め会員や郡の職員など10名の出迎えをうけ、尾張中央RC平岩会長の流暢な韓国語...
679 PV
いけ花で中国と交流
万渓寺(久地野)では、いけ花を通じ、中国山東省花卉協会と文化交流をしています。 平成7年に日中国交樹立35周年・山東省花卉協会設立25周年に住職の私が招かれて、いけ花のデモンストレーションをしましたが、これが好評で、以来いけ花を通しての交流が始まりました。 平成20年は、いけ花の指導に中国に渡りました。 平成21年春は...
952 PV
GSEチームの視察研修のお世話
ロータリー財団事業の一つに、職業と文化について他国との交流と親睦の場を作り、真の国際交流を促進することを目的とする研究グループ交換制度(GSE)があります。 わがロータリークラブでは、平成20年の11月下旬にこの制度によるアメリカ・オハイオ州からの5名を受け入れ、視察研修のお世話をしました。 市内では、文化勤労会館のカ...
659 PV
太鼓を通じて国際交流
本市を拠点に活動する師勝太鼓「鼓っつ」は、海外にも進出しています。 平成19年12月29日には、IVO(国際民間文化芸術交流協会)JAPANの推薦により、マレーシアの首都クワラルンプール市の独立記念広場で得行われた第1回世界ドラムフェスティバルに参加することができました。 IVOは、舞台公演、民俗文化の展示、ワークショ...
1038 PV
「自立を始めた女性」の村に診療所を
その日暮らしの長い貧しさから抜け出し、物を作って売り、僅かであっても現金収入を得ることを学び始めたバングラディシュの女性たち。 その母の傍らに、働くことを覚えようと一所懸命な子供たち。 どちらも生き生きとした目に喜びが溢れています。 これは、現地NPOガンガ福祉財団の活動の一つ、マイクロクレジットという事業資金の貸し出...
1413 PV